あの一球
夏の甲子園、佐賀北高校が優勝。
帝京に勝ったところで、このチームが優勝しそうな予感めいたものがあった。
その時には知らなかったのだが、普通の県立高校で、
専用グランドとかナイターの設備とかなく、グランドもサッカー部と共用とのことだ。
私の母校となんら変わらない、そんなチームだ。
何となく佐賀北高校を応援していたのだが、形勢不利の中でまさかまさかの逆転満塁ホームラン。
鳥肌が立つ感動の展開だった。
だが、その後広陵のピッチャー野村君も応援したくなった。
(判官びいきということもあるかな)
ホームランの前の押し出しの「ボール」の判定。
ぎりぎりのコースである。
審判によっては、いや、決勝の球審もこの日ストライクの判定をしていたコースだ。
この運命の一球が勝敗の分かれ目だった。
もちろん審判に文句はない。
彼らも一生懸命ぎりぎりの判定をしているのだ。
ただ、あの一球がボールになったこと、これが勝負のあやというものだろう。
昨年に続き、今年も白熱の決勝戦だった。
広陵のピッチャー野村君は昨年の駒大苫小牧の田中君と同じように
空振りの三振で最後のバッターとなってしまった。
彼の目に涙はなかった。
力を出し切ったという思いがあるからだろうか。
彼は、あの一球をどうとらえているのだろうか。
すでに受け入れているのか、
それともこれから長い時間をかけて受け入れていくのか。
ぎりぎりのあの一球。
これが甲子園であり、野球であり、スポーツの醍醐味であると思う。
来年もまたぎりぎりの一球に
高校生達が持っているすべての力で挑んでいくのだろう。
リアルタイムでは中継が見られず、熱闘甲子園やネットでのイニング動画を見てのコメントですが……。
あの一球は、当然ながらストライクのつもりでキャッチャーもリードし、そのリード通りに野村投手も投げた一球でした。判定を受けた野村くんの表情は、泣き笑いのような、動揺を隠せないもので、キャッチャーはどうしていいかわからずに、ベンチを振り返りました。ベンチとしても、どう応えようもなかったことでしょう。
ボランティアでやってらっしゃる審判を、責めてもしかたがないのかもしれません。ただ、夏の甲子園、決勝主審という、ある意味で日本アマチュア野球の究極の一戦で主審を勤められている方なわけで、「しかたがない」とだけ言ってしまうのも、それは日本野球にとって、マイナスにこそなれプラスに働くことはないように思います。
広陵の中井監督(そういえば、お体は大丈夫なのでしょうか)は、あえて禁句を口にされました。「あの1球は完ぺきにストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。その子が言ってくるんだから。キャッチャーは『どうしたらいいですか?』という顔をしていた。これで辞めろといわれたら監督をやめる」
正直、泣けてきます。
もちろん、満塁弾を打った副島くんはじめ、佐賀北ナインや監督・スタッフに、なんら恥じるところはありません。katsuさんも書かれているとおり、延長再試合、そしてあの素晴らしい帝京との熱戦を乗り越えてきた勢い、そこで培われた力あっての、すばらしい勝利です。
ただ、勝負の綾といってしまえばその通りですが、プロ野球を含め、審判の技量低下が、スポーツの興趣を大きく殺いでいるように思われる昨今、この一球を「勝負の綾だ」とだけ言って済ませてしまう気には、どうもなれないのが正直なところだったりします。
その意味で、中井監督のコメントを圧殺しようとしている高野連の考えには、「日本プロ野球人気の低迷が騒がれる中で(それはそれでどうかという話はありつつも)、この人たちは、相変わらずだなぁ……」とのあきらめ半分ながら、かなり強い怒りを覚えます。
> 第89回全国高校野球選手権大会で準優勝した広島・広陵の中井哲之監督は23日、決勝の佐賀北戦後、審判の判定に不満を漏らしたことに対し、日本高校野球連盟から「審判は絶対的で、不満を言うのは好ましくない」などと注意を受けたことを明らかにした。
http://sports.yahoo.co.jp/baseball/hs/news/20070823-00000081-mai-spo/
# ワタシが広陵に張って、友達と飲み代を勝負してたのは、それはそれで別の話として。;-)
コメント by K2 — 2007/8/23 木曜日 @ 22:18:19
K2さん、どもっ。
あの一球の判定で流れが変わったのは確かだったと思います。
というか、端から見るとあれがすべてだったようにも思います。
決め玉(球種ではなく)を否定された投手(バッテリー)はその後どう組み立てていいかわからなくなってしまうでしょうから。
監督が怒るのも理解できます。
判定にもその後の高野連に対しての言動も、
私には当たり前のように感じます。
いち野球人として(そうじゃなくても)誰かが言わなきゃいけないことなのかもしれませんね。
ただ、
彼らの広陵高校3年生の甲子園はもうないんです。
今さらあれは誤審だったなんて言われてももう遅いんです。
彼らはなんとかあの一球を受け止めなければならない。
そのことを思うとあの判定に負けたではなくて、その後に打たれたこと、そして自分たちが点を取れなかったことで負けたのだと。
端から見るとあれがすべてのように見えても、勝てるチャンスはまだあったのですよ。それをものにできなかった。
あの一球は敗因の一つ。大きな大きなものではありましたが。
審判のレベルの低さは前々から問題だと感じています。
人間のやることですから、判定の間違いは多々あるでしょう。
その中で、質の高い審判というのは間違ってはいけないところで間違わないことだと思います。
審判が主人公になるようではいけない。
プレイしている高校生たちが主人公になるように、周りがもっと真摯にあの一球を受け止めるべきでもありますね。
コメント by katsu — 2007/8/24 金曜日 @ 1:16:37
こんばんは、こんな夜間に頻繁なやりとりが……(笑
katsuさんのこのエントリの中心が、
「すでに受け入れているのか、それともこれから長い時間をかけて受け入れていくのか」
という、ここにあることは読み取れていたのですが、そこには共感はありつつ、やりきれなさが強くて。
最終回・広陵の攻撃で、バントで3塁を狙ったあの走塁。
暴走と言われてもしかたない判断の甘さがあったとしても、
あの場面での1点の重みと1アウトの重みを受け止めた上でのプレイであり、
あの場面でそうしたプレイを選択する勇気も、機動力を軸に据えた広陵野球を貫いたことも、
拍手を送りたいプレイであったと思っています。
最終的に、そのギャンブルが裏目に出た。
そして、彼らは負けた。
負けたということを、彼らは受け止めて、時間をかけて、消化していかなくてはならない。
一晩で消化できる選手もいるかもしれないし、一生消化しきれないものを抱えていく選手もいるかもしれない。
katsuさんの仰るとおり、高校三年の夏とは、そういうものだと思います。
ただ、傍観者として惜しむらくは、そうした場面に至った経緯として、8回裏がああでなければ、と……。
たぶん、この場には議論は存在していないと思います。
単に視点の置き方の話だけで。
佐賀北、おめでとう!
広陵、よくやったぞ!
審判、もう少しなんとか!
いやぁ、甲子園って、すごい祝祭です。
あんなにすごい舞台に立って、しかもそこで全力を尽くして泣いたり笑ったりしている高校生たちを、
いまだにどこか尊敬の眼で見ています。
大人たちとしても、あんな瞬間をノスタルジーばかりでなく、
「ワシだって、行くとこ行ったらすごいけんね! キミらと同じくらい!」
と思って見ていたいものありますです。
コメント by K2 — 2007/8/24 金曜日 @ 2:04:35
K2さん、おはようございます。
夏の甲子園はその年の高校野球の集大成の試合が行われるところだと思っています。
3年生達には次がない最後の挑戦の場です。
年を取った今でも、昔目指した甲子園はやっぱり聖地です。
もちろん高校球児でなかった人も何かを感じられる場所だと思います。
甲子園でプレイしている選手たちを見て毎年元気をもらっています。
よーし俺もがんばるぞって。
それはたぶん一生懸命だからです。
その姿を見て、「俺は一生懸命か?」と自分に問うのです。
まだまだやれるぞ、とか思う訳です。
ま、勝手にそう思っている訳ですがね。
来年もまたいろんな事があるでしょうが、勝手に元気をもらおうと思ってます。
コメント by katsu — 2007/8/24 金曜日 @ 10:30:12